福岡にて眞宗大谷派の教義を説いています

眞宗大谷派の教義を伝え、浄土真宗の伝統を守りつつ時代に適した新しい道の模索を続け、日々の法要に努めています。また、ご門徒さん一人ひとりに寄り添うべく四季の行事もつつがなく続けてきました。
総代さん、婦人部、壮年会の協力もあってさまざまなイベントが開催され、中には月の予定をチェックし積極的に紹介してくださる方もいらっしゃいます。開催されるイベントの中でも、子供会・チャリティーコンサート・盆踊り大会は好評を博しています。お近くにお立ち寄りの際はぜひご来訪ください。

  • 441号~6月~

    ○真宗のお盆の迎え方~真宗会館HPより~

     亡き人を案ずる私が 亡き人から案じられている。
    いのちと向き合う時間を。

    浄土真宗の門徒は、亡き人を「諸仏」といただいてきました。諸仏とは、私たちを人間としての真実の生き方へと導いてくださる仏さまのことです。亡き人を、「真実に目覚め、真実に生きよ」と呼びかけてくださる「諸仏」といただき、今を生きる私自身が、真実の教えを聞くことこそ、亡き人を本当に尊ぶことになるのです。

    浄土真宗ではお盆をお迎えするにあたっては、特別なお供え(野菜で作る馬や牛

    など)をすることではなく、改めて亡き人を偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。 お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗の「お盆」の迎え方です。

    お盆の準備として・・・お内仏を清掃し、打敷をかけ、供物を供えます。打敷をかけるスペースがなければ、ご用意いただかなくても結構です。蝋燭は朱色(赤色)をご準備ください。

    ・精霊棚は設けず、送り・迎えもしません。ナスやキュウリで⾒⽴てた作り物などもしません。★初盆のことなど、わからないことがあれば、お寺に聞いてください★

    ◎お知らせ◎


    ○6月15日(水)午前6時半~8時 奉仕作業(草むしり)【ご協力いただける方々】

    ○6月26日(日)午後5時~ 仏法壮年会総会 【壮年会会員の方】


    ○6月28日(火)午前10時~ プリザーブド仏花教室(別紙参照)【予約制】

    ○7月5日(火)午後1時半~ 仏法女性部会総会&チャリティーイベント(別紙参照)    

    ○7月6日(水)午後1時半~ 総代世話方会総会 【総代世話方さん方々】

    ○7月9日(土)午前10時~午後4時 お寺ヨガ&マルシェ(別紙参照) 

    つれづれに・・・

            四月二十一日、教え子の一周忌でした。まだ、24歳という若さでお浄土に還っていってしまった教え子。一生懸命頑張って、夢を叶えて、まだ三年目でした。「バカタレ!」そう言いながらも「よく頑張ったね。」と冷たくなった顔をなでることしかできなかった一年前。お参りに行くたびに、お婆ちゃんが、「先生、覚えとってくれてありがとう。」そう言って迎えてくださいました。ご家族もどうにかして向き合おうとされてました。その姿に、私も前を向かなきゃいけないなァと学んだことです。受け入れられない、受け入れたくない現実を目の当たりにしたとき私たちは真実から目を背けたくなったり、誰かのせいにしようとしたり、怒りに変わったりすることがあります。でもきっと、そんな自分も仏さまは、ぜーんぶ包み込んで、それでいい、それでいいんだよ。と受け止めて受け入れて、抱きしめてくださっているのではないでしょうか。今、やっとそう感じれるようになりました。

           お浄土ってどんなところなんでしょうか・・・。誰も、行って帰ってきた人がいないか

           らわからないけど、「お浄土」とか「お念仏」っていうのは、亡くなった人の為では

    なく、今を生きる私たちの為にあるものなんです。先日、よくお寺に来られては母のことを話してくれていたおばあちゃんもお浄土へと還られました。「夢に坊守さんが出てきてね・・・」「寝てたら坊守さんがそこに座っててね・・・」母を慕ってくれていたおばあちゃん。とっても優しい方でした。娘が、布団に横になったおばあちゃんの顔の近くで「ナンマンダ」と手を合わせました。涙が出ました。「なんまんだ」その意味はよくわからなくても、おばあちゃんを見て、出てきたお念仏。私たちに教えてくださってました。今頃母とゆっくりお話してるかな?いつか私たちも、命有るもの全ての者が往くべきお浄土の世界。だけど、できることならみんな往かないで欲しい。また「お念仏」の有難さを知った出来事でした。

     五月は・・・十八日若院、二十日娘二歳、二十五日犬ハル十八歳のお誕生日。おじいちゃん犬ハル君、一生懸命生きてます。みんなまとめてお誕生日会☆元気が一番ですね♪

    そして、五月二十一日、お寺での仏前結婚式。小さな頃から知ってる女の子の白無垢姿は何とも感慨深いものがありました。今では四人の男の子を育てる肝っ玉母ちゃん。結婚式から披露宴まで、全部手作りの結婚式。毎日のように、ご家族が飾り付けやら準備やら手伝いに来てくれました。とってもあたたかい式になりました。幸せいっぱいもらいました。おめでとう☆       因福寺76-0433

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  • 440号~5月~


    真宗大谷派 法事の意味

    ○法事とは



    法事や仏事というものは、私が思い立ってするものではありません。
    自分に先立って人生を歩まれた方々が居てこそ、仏さまの教えや寺、そこに集う人々との出会いがあるのです。人生における出会いは、私たちの分別を越えたはたらきによるものです。そのはたらきを阿弥陀如来といい、亡き人は諸仏となって阿弥陀如来と出会う縁を私に与えてくださっているのです。亡き人があってこそ、今の生を歩んでいる私です。亡き人のために、私がするのではなく、亡き人の呼びかけに応じて勤めるのが、法事なのです。

    ○法事の日取り

    法事の日取りは、命日を過ぎても構いませんし、日の良し悪しを気にする必要もありません。法事を勤めること、私が「南無阿弥陀仏」と念仏申すことに意義があるのです。日取りを気にする心の中に、亡き人に失礼だからとか、バチが当たるからといった思いがありませんか?そういう気持ちこそ、失礼に当たるのではないでしょうか。
    亡き人からの「南無阿弥陀仏と念仏申せよ」という呼びかけによって勤めるのが法事なのですから、法事は、"いつ"を気にするものでもありませんし、義務として務めるものでもありません。言い換えれば、毎日が法事なのです。毎日、お内仏(お仏壇)の前で手を合わせることを忘れないでください。

    ○法事の心得

    ご本尊(阿弥陀如来)を安置することは忘れないようにいたしましょう。亡き人の法名や写真にばかり気持ちが向いてしまいますが、ご本尊に手を合わせることが大切なのです。亡き人のための法事でなく、今生きている私のための法事なのですから。
    「法事は供養の場ではないのか?」って?自分の迷いを、亡き人の迷いと勘違いしていることに気付かないで、供養といえますか?亡き人は、

    阿弥陀如来に出会う場を与えてくださる諸仏法です。亡き人の縁


    を大事に、私が念仏申す人となることこそ、供養と言えるでしょう。                        

    ○ちなみに・・・服装は?

    当日の服奘については、例えば通夜から四十九日までは喪服が


    望ましいでしょうが、法事の場合は地味な平服で清楚な服装で

    あればよいでしょう。(暮らしにじぃーんより)

     

    つれづれに・・・


     コロナに感染した。40度の熱が3日程続き、食べ物は入らず、喉は痛く、頭も割れてしまうんじゃないかと思うほど痛かった。2週間くらい味覚もおかしくて、「おいしい」と思えない日々が続く。最初に陽性が出た若院は保健所から「ホテル療養をお勧めします。」とのこと。一人、お迎えに来たバスに乗り久留米まで。次に陽性反応が出た私。保健所からは「小さいお子様がいるので自宅療養でいいですか?」と。そのときは、まだ娘は元気。だけど濃厚接触者。でもご飯は食べさせなきゃいけない。しかし、私は立ち上がることも出来ない。さて、どうしよう・・・。住職やお手伝いにきてくださる方が、マスクをし、換気と消毒をずーっと繰り返しながら面倒を見てくれる。そして4日後・・・。娘も熱を出す。こっからパニックでした。住職は何度も検査をし、結局陽性反応は出ず、みんな胸をなでおろしたものの、せっかく準備を進めていた報恩講も中止。とにかく申し訳ない気持ちと、今回は中止になってこれ以上周りに迷惑かけなくてすむという安心感とで、それでもやっぱり寂しいものがありました。総務総代さんが何度も話し合いをもたれ、賄いの方々は報恩講のためにおときの内容まで決めて、仕事の都合をつけられてました。総代世話方さん方には何度も配布物を配って頂き、本当に本当に皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。今回、きつい思いもしましたが、たくさんの方々の優しさにふれ、あたたかい心をいただきました。「あやまらんでよか。」「お寺のことは心配せんでよか」「なんかできることあるね?」コロナから復活しても、お掃除や報恩講の準備等たくさん助けて頂きました。ありがたいことでした。隔離されてた部屋まで聞こえる娘の泣き声。一生懸命我慢して私を遠くから見る笑顔。はじめてこんなに長く娘に触れられず、胸が締め付けられそうでした。娘も感染してから、若院はホテル療養から帰宅。家族だけの隔離生活。初めて3人だけで何日間かを過ごし、娘が段々我が儘になっていきました。コロナにずっと振り回される日々。ワクチンを打っていた方でも十日間高熱が続いた方もおられるそうです。逆に、全く症状が出ない方も。人それぞれ・・・。皆様もどうぞどうぞご自愛ください。そして、来年こそみんなみんなで報恩講が出来ますように・・・。  4月5日は、女性部会のおみがき&お花見でした。美味しい麦まんじゅ   

        うと桜餅、ありがとうございました☆お饅頭と桜餅をほおばる笑顔は桜 のように素敵でした♪毎月5日、女性部会、ぜひそろってお参りください。(※どうしても、お寺に来る手段がないときはお電話ください。お迎えに行けるときは、行きます※)

            4月2日の初参式は9名のお子さんたちがお参りに来てくれました。仏の子として健やかに育ってくれますように・・・

           ※6月15日(水)朝6時半から奉仕作業(草むしり)を行います。)雨天の場合は6月16日に延期。ご協力宜しくお願いします。

    因福寺 76―0433

  • 439号~4月~

    「報恩講」         金子みすゞ

    「お番」の晩は雪のころ、雪はなくても暗の頃。

    くらい夜みちをお寺へつけば、とても大きな蝋燭と、


    とても大きなお火鉢で、明るい、明るい、あたたかい。

    大人はしっとりお話で、子供は騒いじゃ叱られる。

    だけど、明るくにぎやかで、友だちゃみんなよっていて、

    なにかしないじゃいられない。

    更けてお家へかえっても、なにかうれしい、ねられない。

    「お番」の晩は夜なかでも、からころ足駄の音がする

     

    「さびしいとき」         金子みすゞ

    私がさびしいときに、よその人は知らないの。

    私がさびしいときに、お友だちは笑うの。

    私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。

    私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

     金子みすゞ全集Ⅱより 


    浄土真宗のお寺で最も重要な法要は、宗祖親鸞聖人のご命日に勤修される「御正忌報恩講」である。浄土真宗とは必ず私たちを浄土に救いとるという阿弥陀仏の願いを信じ、「南無阿弥陀仏」という仏の名前を称えて、その願いに応えるならば、たとえどんな悪いことをした人でも、みんな必ず浄土に生まれることが出来るのである。そして、「南無阿弥陀仏」という名号になって、阿弥陀さまがいつも私たちにつきそい、私たちを護っておってくださるのである。私たちが称える念仏は、往生のための念仏ではなく、感謝の念仏であり、よろこびの念仏である。【金子みすゞいのちのうたより】

    二十六歳の若さでお浄土に還られた金子みすゞという詩人は、一度は誰でも聞いたことのある名前ではないだろうか。山口県のそれはとても信仰心の厚い地域に生まれ、毎日朝夕のお参りはもちろん、幼い頃からお仏飯をあげること、お花の水を替えることが日課だったらしい。この時代、年齢も何も関係なく、みんなが集い、ただただお念仏、お聴聞することができる「お寺」は唯一の楽しみの場でもあったのではないだろうか。豊かになった今、気付けば私自身の周りに「物」は溢れていても「人」が見えなくなっているのかもしれない・・・。

    つれづれに・・・

    先日、佐賀の専修寺の巡番報恩講へ行ったときのお説教が、ドスンと私の心に入ってきた。私たちは日々、色んな欲望にまみれ、自分を見失い、生きとし生けるものの命をを奪いながら生きている。それなのに、気が付けば、自分以外の周りの人を悪く思ったり、うらやましく思いながら、「自分は間違っていない」と勝手に思っている。人の生き方、価値観はそれぞれあるのに、幸せの形もそれぞれあるのに、「正しいこと」「間違っていること」を自分の物差しで測ろうとする。しかし、私たちは、生きるうえで、ずっとたくさんの悲しみ、苦しみを横目に、自分の立場、感情、欲に生きている。

    「朝焼け小焼けだ 大漁だ 大場鰯の大漁だ。 浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰯のとむらい するだろう」

    これも金子みすゞさんの詩だ。大漁だ大漁だ!そう喜ぶ人間を、魚たちはどう見ているのだろう。こうやって、私たちは、たくさんの苦しみや悲しみの中に、生かされているのだ。それでもそれでも、阿弥陀様は、共に喜び、悲しみ、すべてを受け入れ、包み込んでくださる。そういうお話だった。私はまだ、阿弥陀様がどんな方なのか、よく知らない。よくわからない。だけど、きっと、母のような方なんだと思う。巡番報恩講にお参りいただいた皆様、お疲れ様でした。ちなみに、百歳を超しながらも元気にお聴聞されたノブさんの為に「あなたがいるだけで」という歌を、歌っていただきました。