由緒

真宗大谷派 光明山 因福寺

当初は、光明寺という禅寺でしたが、鷹尾城主田尻鎮種(あきたね)の三男大助が、祖先菩提のため僧となり、真宗に改め、因福寺と改称したと「旧柳川藩志」にあります。

「大助」とは、「寺院台帳」にいう鷹尾城主の田尻(伯耆守)親種の次男大助こと僧名教円を指し、彼は、天正年間(1573~91年)本願寺の顕如上人に帰依し、寛永年間(1624~43年)、因福寺を建立したと伝えます。また、「六合小学校百年誌」では、天正5(1577)年の創建としています。

境内には「天正5年」在銘の天正式六地蔵塔があります。

年中行事として、報恩講・盆会法要・除夜会などをおこなっています。

来歴

因福寺には【宝篋印塔及び石造阿弥陀如来像(室町前期)】(平成14年 旧大和町有形文化財(建造物)指定)ならびに【因福寺六地蔵塔(寛永年間)】(昭和53年旧大和町有形文化財(彫刻)指定・現在は共に柳川市有形文化財)が実存します。

本堂・門徒会館・庫裏は、平成3年の台風17号・19号によって多大な被害を受け、解体後に新築されています(平成5年)。

鐘楼

鐘楼は、寺伝によれば「第六世 恵正 安永5年11月24日寂」「第七代 諦隆 本堂再建、釣鐘鋳立 天明6年8月19日寂」とあるので、西暦1776年~1786年の鋳立となり、他に関係文字は見当たりません。

 

昭和63年に、修理および屋根葺替修理が行われています。それ以前の修理記録は残っていませんが、修理の痕跡があります。

報恩講や初参式などさまざまな年間行事を執り行っています

真宗の門徒にとって一年の中で最も大事な行事の一つである報恩講が因福寺では毎年4月に執り行われます。報恩講は特別な服装を要するものではなく、どなた様でもご参加いただける法要の一つです。熱心に仏教を信仰される方はもとより、これから御仏の心を学ばれようと志している方や近隣にお住まいの地域住民の方でも気軽に参加できるよう工夫を凝らしています。
 赤ちゃんの、初めてのお参り「初参式」。みほとけの子どもとして手を合わせることのできる慶びを忘れないようご家族と一緒にお念仏をいただきます。

 また、チャリティーコンサート・盆踊り大会も開催しています。さまざまな世代へ向けた行事を通じて、より身近に感じていただけるよう門徒一同心を込めて取り組んでおりますので、ぜひお参りください。

お寺に馴染みのない方にもわかりやすい回答を心掛けています

ご供養やご聴聞に熱心に取り組んでいるご門徒さんやご遺族の方とは違い、何らかの機会から人生の中で初めて関りを持つという方もたくさんいらっしゃいます。誰もが最初はわからないことだらけで、真宗のお参りなどをこれまで行ったこなかったという方も、まずはお寺においでください。寺院の仕組みやお参りの作法をはじめ、わからないことは一緒に学んでいきたいと思います。
お電話にて直接問い合わせいただいてもかまいませんが、過去に寄せられた質問の中で似たものをまとめて項目別に掲載しています。お困りのことがあれば気兼ねなくご覧ください。

寺にて取り行った法務や婦人会の様子などを掲載しています

若坊守がお寺にて取り行った月々の法務やイベント、日々のお寺の様子など、ブログを執筆しています。総務総代会や仏法婦人会などのイベントも様子がわかりやすいよう写真を掲載中です。普段から通われる門徒の方への報告と、寺院に馴染みを持たない方の両方へ向けた内容を心掛けています。寺院をより身近に感じていただけるきっかけとなれば幸いです。
拠り所となるお寺をお探しの皆様の役に立てるよう、法要や各種イベントの情報も随時更新していきます。お寺に足を運ばれる方は嬉しい気持ちを持った方もいれば、悲しい気持ちに包まれている方もいらっしゃいます。全てを受け止め包み込んで下さるみ仏様と、手を合わせてみませんか?